かわず跳ぶ

どんな人生だって 生きてるだけで誰かの手本

親切に見返りは不要派

togetter.com

 申し訳ないけど「自分の親切に対して、自分が想定したレスポンスが無いことを『しんどい』とか『非常識』と決めつけられる方がしんどい」です、私は。
 
 親切心を無碍にされたことに情動を感じる人は、他人に親切にしない方がいいと思いますよ。
 まして親切が等価交換ないし倍返しされるものだ、という認識の人は、もれなくしんどくなるから他人に親切にするのは止めた方がいいです。
 気持ちが損耗するから。
 それに、あなたの親切は相手にとって親切じゃない場合もあります。


 親切なんて「余裕」の現れなんです。自分に余裕があって、相手に余裕が無い。だから手を貸す。
 それに対して相手がお礼したり感謝したりっていうのは相手の主観・主導で行われるものであって、「私が親切にしたんだからなんらかの感謝は必要」というのは、その時点で親切でもなんでないと私は考えます。
 
 小さな親切、大きなお世話。ありがた迷惑。こういう言葉が存在するって事は、自分の親切が他人のそれとイコールじゃないってことの証左です。
『コーヒー飲む?』に対して『いや、いい』がしんどいなら、もう相手に聞くべきじゃありません。むしろ、返事するだけマシですよ。無視ってのもあるから。単に聞こえなかった場合も含めて。
 
 
 これ、突き詰めて考えると
私がなにかしてやったんだから感謝するのは当たり前
って言ってるのと同じですよ。そこまで傲慢じゃない、そんな穿った見方をするなんて、と思います? でもそうとも取られかねないのよ。
  
なにかしてもらったらお礼を言うのは当たり前」という社会は美しいけれど、世の中その美しさだけでは成り立ってないでしょう。いろんな場面において。
 理想を掲げて自分はそう振る舞う。それはいい。けど、相手にそれを強要したら、途端にその美しさは失われるんですよ。
 相手がどうあれ、自分はそう振る舞うっていうのが大事なのであって、相手の反応をあれこれ取り沙汰して「周りがしんどい」って分母を大きく語るのは、少々品がよくない。
 
 親切なんて無碍にされてなんぼですよ。
見返り期待し いつも親切」なんて言葉もあるけど(知ってる人はニヤリとしましょう)、言葉にしろなんにしろ「見返りを期待する」親切はちょっと下品だわ、と思います。
 
 
 私なんか「『ありがとう』が付かない程度でそこまでキレ散らかす理由が分からん」ですけどね。
「コーヒー煎れるけど飲む?」「いや、いい」「おk」これで終わる話じゃん。
「コーヒー煎れるけど飲む?」「いや、いい。ありがとう」「どういたしまして~」でも終わるじゃん。 
 どっちでもいいじゃない、どっちでも。
 
 それ以外のアレコレがあった末のことなら分からなくも無いけど。
 なら、問題の根幹は『ありがとう』が無いことじゃないよね。それ以外のことを解決しないとダメな話。